2階借りの生活 H21年6月26日
2階借りの生活
今までの3畳一間の生活からは、思いも寄らない程の広い部屋に落ち着くことが出来て、子供の誕生と共にどうやら、一人前の生活ができるようになりました。

しかし、炊事場はやはり1階にありましたので、2階では電熱器による軽い食事の準備しか出来ませんので、子供のいる家内には相当の重労働になっていたのは言うまでもありません。

思い出しましたが、私は大の酒好きのため、当時は合成清酒「お父さんの牛乳」を冷で飲みながらの子育ての毎日でした。

それでも、当時の住宅事情から考えば贅沢は言っておられません。早く良い家を見つけて子供を含めた家庭の団欒を夢見ての毎日が続きました。

当時勤務先は西区の江戸堀にある、大阪西郵便局で、懐かしい話になりますが、市電を利用して通勤をしていました。

ある日のことでした。それは昭和25年9月3日の未明からの暴風雨に見舞われ、出勤する時間には屋根を揺るがすほどの台風に変わって、到底外に出られるような事態ではありませんでした。これが、あの有名な「ジェーン台風」だったのであります。

風がおさまり雨も止んだので、外に出てみると、なんと市電の電車道は道路沿いの家からの瓦や塵が散乱し、街路樹もなぎ倒されて市電も不通となり、その日は約12キロ程の道を電車道に沿って勤務先まで行きましたが、ゆく先々で道路が水に溢れたり、決壊したところも多くありました。

約1時間30分程歩いて郵便局に到着しましたが、ナントその日に出勤していたのは全局員の3分の1程でしかありませんでした。と言うのは私の家からの道路は比較的高地になっていましたので、被害は少なく、水害の被害もあまりありませんでしたが、元住んでいた九条の家は勿論、その辺一体はそれこそ水害の被害が大きく、2階の窓まで水につかり、その時の光景は今思っても惨憺たるものでありました。

こんな時にラッキーと言うのも不心得ですが、九条の家から引っ越して間もないときの出来事で、今の家に引っ越してなければ、家財道具も全部水に浸かり全財産を失っていたかも知れないと思うと、あー良かったとため息をついていたのは事実でした。

今日はここまで、又明日。
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by otc123jp | 2009-06-26 17:27 | 戦後の想い出
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